徳島喫茶史

徳島珈琲店の創生期。大正7年カフェーが初めて徳島にできる。

カフエ ノグチ店内

カフエ ノグチ店内(昭和初期)

昭和初期まではカフェーが流行。飲酒と喫茶ができる社交の場として、学生から社会人まで幅広く利用されていた。

昭和8年にはカフェーが66軒、女給さんが180名いたと記録されている。

※写真は「カフエ ノグチ」の店内。女給さんがお酌をしているのが分かる。
『帰らざるふるさと徳島』より。

年月 徳島の飲食に関する出来事 同時期の主な出来事
1912(大正1)年 4月15日、タイタニック号沈没。
徳島―大阪間、長距離電話開通。
1913(大正2)年 名西郡神領村(神山町)の宮本惣吉、徳島県ではじめてパンの製造を開始。(宮本商店、宮本淳夫氏はその二代目)

6月、森永製菓ミルクキャラメル販売開始。
4月、小松島港修築により阪神-徳島間の定期航路確立、徳島県第一の玄関港となる。
7月4日、モラエス(ポルトガル外交官)徳島市伊賀町に来住。
8月3日、寺島小学校内に「私立寺島幼稚園」を付設、11月開園。
8月12日、徳島に自家用自動車初上陸、購入者は中通町で歯科医開業の前田利行氏。 

1914(大正3)年 名西郡(石井町)の橋本善蔵が製パンを始める。(橋本製菓、橋本善助氏はその三代目)
ぶどう饅頭(日の出本店)の西川芳太郎が、穴吹で菓子づくりを始める。
秋、徳島市内の街角にガス灯が灯る。
12月18日、ドイツ軍俘虜205人、徳島俘虜収容所(現県庁付近)に到着。

3月15日、徳島本線(現徳島線)全線開通。

7月28日、第一次世界大戦開戦。
1915(大正4)年 徳島公園内に、西洋料理店「太陽軒」開業。太陽軒

蒙古帰りの三島海雲が「醍醐味」のちのカルピスを創製。
徳島ガス(現四国ガス)事業開始。

1916(大正5)年 富田橋通り(内町)の藤田只之助、収容所でドイツ式製パン法を習い、パンを収容所に収める。屋号をのちに「ドイツ軒」と称す。
下助任町の大木他一郎、パン製造開始。(現、扇屋)
徳島市内だけでなく、郡部にもパン屋ができる。
天神通(新町橋2丁目)に、日活直営館「相生座」開館。
1917(大正6)年 7月、板東町でドイツ式野菜栽培が始まる。 4月9日、徳島俘虜収容所のドイツ人俘虜206人を板東俘虜収容所(現鳴門市大麻町板東)に移す。
6月24日、徳島公園内に光慶図書館開館。
1918(大正7)年 カフエーノグチ外観 大正7年野口久市が徳島市富田町に「西洋御料理 カフエーノグチ」開業。
3階建てのノグチは女給さん30人を超えるカフエーでもあり、西洋料理を食べさすカフエーとして人気があった。お客さんの筋がよく、良家の子弟や学生さんの出入りが多かったのが特徴であった。
『帰らざるふるさと徳島』より
6月1日、板東俘虜収容所にて日本初「第九」演奏。
11月11日、ドイツ降伏により第一次世界大戦終結。
1919(大正8)年 徳島市新町橋に中央亭、朝日亭ができる。
板東俘虜収容所のオイゲン・バウム、ハンブルグ出身のハインリッヒ・ガーベルが、収容所長松江豊寿大佐夫人や地元人にケーキ等の製菓指導を行う。(12月、俘虜解放)
日の出本店(ぶどうまんじゅう)発売開始。
6月28日、ベルサイユ講和条約調印。
7月7日、世界初乳酸飲料「カルピス」発売。
1920(大正9)年 4月、板東俘虜収容所閉鎖。
1921(大正10)年 日和佐 豊田屋、パン製造開始。
この頃から、徳島市内でウスターソースが使用され始める。
7月、日本最古のコンクリート製道路トンネル「松坂隧道」(牟岐町内妻)完成。
9月1日、鳴門市撫養町に、大塚製薬工場創設。
1922(大正11)年 両国橋北詰東に映画館「両国座」開業。
6月1日、西船場に徳島デパート開店。
1923(大正12)年 震災を境に、そば屋、汁粉屋が後退し、支那そば屋、洋食店、喫茶店が流行。
徳島市の両国橋北詰めに安田、戎さん小路に玉木のカフェーができる。
9月1日、関東大震災。
徳島市寺島尋常小学校6年生、最初の宿泊旅行実施。(鳴門に一泊)
1924(大正13)年 1月26日、昭和天皇(裕仁親王)と久遍宮良子女王ご成婚。
1925(大正14)年 3月、キューピーマヨネーズ発売。
7月12日、東京放送局、ラジオ放送開始。
1926(大正15・昭和1)年 この頃から昭和の初めにかけて、ホップス種使用の食パン製造が拡がる。 8月6日、日本放送協会(NHK)開局。
この頃からカレーライスが一般庶民の食べ物として定着。
1927(昭和2)年 アメリカ食堂時代の広告大木他一郎、徳島で初めて国産培養イーストを使用してパンを製造、次第に全県に普及。

豊茂正二がアメリカ式西洋料理の店「アメリカ食堂」を開く。のちの「喫茶びざん」
※右は、昭和4年(天神さんの麓にあった映画館「相生座」の映画広告のビラ
 
1月、アメリカ世界児童親善会より青い目の人形が300体到着、全国の小学校に親善大使として贈られる。
3月31日、上水道完成。
5月、私立寺島幼稚園から市立内町幼稚園と改称。

6月、森永製菓ミルクキャラメル販売開始。
グリコ、玩具のおまけ付きお菓子の販売開始。
1928(昭和3)年

徳島花壇新町橋畔で料亭「静」を経営していた天羽八十八さんが、徳島公園内に「徳島花壇」という木造2階建ての料理屋を開業した。粋な名前が人々の心をひきつけた。西の丸へやってくる団体にはきまって折詰弁当を夜どおし作るという忙しさ。市役所や聯隊区司令部などの宴会によく使われていた。婚礼なども昼から夜へかけてどんちゃん騒ぎし「水もの」は派手にふるまっていた。五十銭から一円の会席で、富田町あたりから、きれいどころも出入りし活気にあふれていた。見合いの場所としても気安く使われ、縁組のまとまった市民も多い。『帰らざるふるさと徳島』より。

1月12日、相撲放送開始。
6月10日、新町橋畔に時の記念日に合わせ時計台設置。
徳島公園内に「子供の国」開園。
11月1日、ラジオ体操初中継。
1929(昭和4)年

3月31日、徳島市営バス創業。
9月3日、映画館「両国座」全焼。翌年「両国館」として開館。

9月21日、西の丸運動場完成。

10月24日、世界恐慌おこる。
11月3日、ラジオの全国中継開始。

1930(昭和5)年 ハレルヤ製菓(岡武男)、中尾製パン(山下佐一)、木村屋(海津稔)の3店が創業。なかでも木村屋は16キロの電気窯でパンを焼き、業界の注目を集める。
この頃から、徳島市内でマヨネーズ、ソースが普及し始める。
3月6日、アメリカで世界初の冷凍食品発売。
3月、東京銀座三越でお子様ランチ(当時:御子様洋食)登場。
3月18日、新町橋筋に初めての舗装道路完成。
1931(昭和6)年 カフェー徳島会館9月14日、「カフェー徳島会館」が開業。ジャズバンドを常備していた。
※写真は『写真で見る徳島市百年』より
9月18日、満州事変勃発。
10月、東洋工業(現マツダ)、初のオート三輪の販売開始。
「江川遊園地」(吉野川遊園地の前身)開園。
1932(昭和7)年

眉山神武天皇像広場の桜「徳島ブラジルコーヒ店」大工町で創業。
※写真は昭和8年頃の眉山神武天皇像前広場。ベンチの広告に「コーヒ商ブラジル」大工町とある。
『帰らざるふるさと徳島』より。

11月3日、西の丸運動場で徳島県初の体育祭開催。
1933(昭和8)年 元木トマト工場昭和初期カフェー全盛期
1月12日、伊賀町に「偕楽園別館ホール」開場。
写真は昭和8年頃の元木トマト工場(徳島市田宮)。ケチャップ・ソースの製造工場として知られていた。その頃には大きい食堂、カフェー・洋食専門店も出来、家庭にもちらほら洋食が入りつつあって、ケチャップ・ソースは人気ある調味料だった。『目で見る徳島の100年』より。
世界初乳酸飲料「カルピス」発売。
4月3日、徳島市役所、現在地に新築。
5月28日、電話が自動式となる。
7月23日、徳島放送局(JOXK)開局、ラジオ放送開始。
9月3~5日、「阿波盆踊り」開催。
1934(昭和9)年 丸新外観3月24日、徳島市東新町に「新町百貨店(のちの丸新)」開店。
※写真は『丸新50年史』より。現在は阿波銀新町ビルが建っている。
4月、徳島市寺島尋常小学校(現内町小学校)で県内で初めて本格的な学校給食開始。(昭和17年まで)
1月6日早朝、新魚町(現在の両国橋付近)の「カフェー天国」より出火、8戸全半焼。
3月18日、「徳島温泉劇場」開場。(浴場・料理・劇場を備えたスパ施設の先駆け)

5月22日、小松島港完工。
9月21日、室戸台風、関西一帯に大被害。
1935(昭和10)年 11月1日、カフェー営業取締規則を制定。
この頃、半田そうめん、最盛期を迎える。組合加盟戸数130戸、出荷量675トン。
3月20日、高徳線が開通。
12月10日、大阪野球倶楽部発足。(のちの阪神タイガース)
1936(昭和11)年

共同国産煉乳会社、名西郡高原村(現名西郡石井町高原)に徳島県初の乳製品工場を設立。

※写真は昭和11年頃の両国橋通り「カフェー・大丸」
『写真集徳島100年下』より

1月29日、映画館「新富座」全焼。
東新町「第一劇場(新興キネマ)」開館。

2.26事件発生。
2月、神戸モロゾフ洋菓子店が日本初のバレンタインチョコレートの広告を英字雑誌に掲載。
この頃、アルマイト製の弁当箱が流行。
1937(昭和12)年 森永乳業、共同国産煉乳会社の工場を徳島工場として引き継ぐ。当初の原料乳は1日13石程度で、主として煉乳を生産。 7月、日華事変始まる。
プラスチック什器登場。
1938(昭和13)年 ハレルヤ製菓、「金長饅頭」を創製。 5月、丸新で初のエレベーター設置。
1939(昭和14)年 11月、板野郡鳴門村の高島、三ツ石の塩業者が合同で機械製塩工場を高島に建設。(徳島県最初の製塩工場) 9月3日、第二次世界大戦勃発。
1940(昭和15)年 2月、板野郡撫養町、瀬戸町の製塩業者が合同して本斎田製塩工場を大桑島に建設。 5月、修学旅行が禁止される。
1941(昭和16)年 珈琲豆の入荷が禁止される。(真珠湾攻撃以降)
企業整備により、徳島市内のパン業者中12業者が「阿波製パン」、「徳島製パン」の2企業体に統合され、52業者が42業者に減少。
4月3日、かちどき橋架設。
10月27日、バス事業会社18社(市営バスを除く)を統合し「徳島バス統合㈱」新設。
12月15日、㈱徳島新聞社発足、「徳島新聞」発行。

モンペが女性の服装の主流になる。
1942(昭和17)年 3月、大社義規が徳島市寺島本町に「徳島食肉加工場」(日本ハムの前身)を設立。
5月、徳島市で味噌・醤油の通帳制販売始まる。
8月29日、全国中等学校野球大会で
徳島商業学校(現徳島商業高校)が優勝、記録されない幻の甲子園とされた。(1977.8.16優勝認定)
1943(昭和18)年 6月、徳島市で通帳制による家庭用酒類の配給始まる。
徳島市で牛乳の配給制を実施。一般市民は自由に牛乳を飲めなくなる。
7月1日、東京府・東京市が統合し、東京都に。
1944(昭和19)年 喫茶店で使用する業務用牛乳の出荷が禁止される。
8月、徳島市内4ヶ所に300人分の国民酒場が開設。統制組合の管理下に富田町、内町、渭東、佐古の個人飲食店を指定。
青果物も配給制となる。
家屋が密集していた西横町(元町、徳島駅前から新町橋にかけて)の
東側の民家を強制疎開により解体。
1945(昭和20)年 徳島駅前ヤミ市徳島駅前にバラック小屋建てのヤミ市場が生まれる。

※写真は戦後の徳島駅前のヤミ市。昭和23年ごろにはざっと70軒。甘いものに飢えた人々はみつ豆、菓子に群がった。
『写真集徳島100年下』より

7月4日、徳島空襲。
8月15日、終戦。
10月29日、第1回宝くじ発売(1等10万)
12月31日、NHKラジオ「紅白音楽試合」(紅白歌合戦の前身)放送。

徳島珈琲店の発展期。終戦後からジャズやクラシックが流れる純喫茶が主流に。

創業時のメニュー

「いかりや珈琲店」創業時のメニュー

このころから、純喫茶が主流になる。
終戦の落ち込む気持ちから、少しずつ立ち直ろうと音楽がさかんに聴かれるようになる。
少しずつ道路も整備され街道沿いにはドライブインが多くできる。

※写真は昭和30年5月18日創業の「いかりや珈琲店」の当時のメニュー。

年月 徳島の飲食に関する出来事 同時期の主な出来事
1947(昭和21)年 4月、「徳島東宝」開館。
11月3日、日本国憲法公布。
11月16日、藍場町、藍場浜の戦災者によるバラックのスラムが火事で焼失。
12月21日、南海大地震。
12月、東新町に「徳島名画劇場」(のちの東映)開館。
洋画館「信富座」(のちに新富座)開館。
1947(昭和22)年 1月、徳島市内の国民学校11校、8100人の児童を対象に、学校給食実施。

1月1日、日本語の横書き表記を左から右表記に変更。
9月、「徳島バス統合㈱」から「徳島バス」に改称。
駅前でリンタク(自転車タクシー)が市民の足に。
鳴門市発足。

1948(昭和23)年 8月、大社義規、徳島市万代町に個人経営による食肉加工場を再開。 4月1日、旧制中等学校を新制高等学校に移行。
1949(昭和24)年 7月、徳島市新町橋畔に、ビアホール復活。大ジョッキ1杯150円、小ジョッキ1杯100円。(当時のサラリーマンの月給は約3000円(日額100円)であった。)

※写真は昭和24年8月。右奥のビルは「丸新」その手前にビアホールの看板がみえる。
『目で見る徳島の100年』より
1月15日、第1回成人式開催。
5月3日、光慶図書館跡に「憲法記念館」開館。(翌年3月13日火事で焼失)
元町に「つぼみや」開店。
1950(昭和25)年 珈琲豆が入荷されるようになる。
10月、板野郡板西町(現板野町)に、ネッスルプロダクト㈱板西冷却(牛乳)工場完成。
1月1日、千円札発行。年齢を満でかぞえることを実施。
6月13日、徳島市寺島本町西に「市民病院」竣工。
1951(昭和26)年 12月、大社義規、個人経営のハム工場を資本金150万円の「徳島ハム(㈱」(日本ハムの前身)に組織変更。 1月3日、第1回NHK紅白歌合戦放送。
5月29日、戦後のバラック駅舎「徳島駅」新築。
6月1日、小松島市発足。
1952(昭和27)年 富岡町(現阿南市)でアユの水田養殖が徳島県で初めて行われる。その後県下に広まる。
徳島駅前のヤミ市場完全撤去。
7月1日、四国放送(JOJR)放送開始、四国初の民間ラジオ放送。
8月1日、「日本電信電話公社」(NTTの前身)設置。
1953(昭和28)年 徳島県で本格的なノリ養殖始まる。
この頃から、半田そうめん、機械が導入される。
2月1日、NHKが日本初テレビ放送開始。
11月3日、憲法記念館跡に「県立図書館」開館。
国体道路(現192号線)建設で「佐古大橋」開通。
大塚化学薬品(株)「オロナイン軟膏」を発売。
1954(昭和29)年

4月12日、鳴門-淡路間に日本初のフェリーボート就航。(昭和53年、公団フェリーは廃止)
11月30日、徳島市児童文化公園(昭和32年には市立動物園が隣接)竣工。

11月3日、SF映画「ゴジラ」公開。

1955(昭和30)年 創業時の外観5月18日、馬場芳子が徳島市通町に「いかりや珈琲店」を開店。※写真は創業時の外観。「いかりや珈琲店」さん提供。
8月24日、森永乳業徳島工場砒素ミルク事件発生。
1月、「子供の国」閉園。
1956(昭和31)年 ロバのパン_昭和30年頃国鉄徳島駅前広場を行くロバのパン。昭和27年に徳島駅前広場にあったヤミ市が撤去され整備された。そこを、トコトコと馬車に乗ったロバのパンが行く。『徳島市今昔写真帖』より。 11月26日、藍場町で大火事が起きる。被災者230人。
NHK、民放、テレビ料理番組を初めて放映。
1957(昭和32)年 「名店街ビル」完成。
11月1日、中徳島町に「徳島市立動物園」開園。
12月1日、眉山ロープウェイ開通。
1958(昭和33)年

コトデン周辺写真-昭和33年喫茶「トロイカ」・「たかしまコーヒー店」開店
※写真は昭和33年の徳島駅周辺。コトデンビルが建築中であるのが見える。
『ひょうたん島今昔』より

5月1日、阿南市発足。
10月、「徳島郵便局」八百屋町に新築移転。

秋、インスタントラーメン出現。「チキンラーメン」発売。(1個35円、生産量1300万食)
12月1日、1万円札発行。
12月23日、東京タワー完工式。
1959(昭和34)年 UCC上島珈琲 徳島支店、徳島市秋田町2丁目に開設。
日本酪農協同㈱徳島工場創業。
ウナギ養殖始まる。
4月10日、皇太子明仁親王、正田美智子様ご成婚。
3月、NHK徳島放送局、4月、四国放送がテレビ放送を始める。
6月27日、市民プール竣工、開場。
1960(昭和35)年 コーヒー豆の輸入が完全自由化。
8月、インスタントコーヒー初めて発売される。
電気冷蔵庫が普及。
9月10日、カラーテレビ放送開始。
9月15日、武道館竣工。
1961(昭和36)年 5月、毎日牛乳徳島工場竣工。
この頃から、スダチの栽培面積増大。
3月30日、幸町-徳島町間に立体交差道路開通。
9月16日、第2室戸台風。
1962(昭和37)年 徳島市沖洲地区で砂地の特性を利用した青ネギの生産地形成が進む。
この頃から、ワカメ養殖が本格化する。
4月1日、「徳島ホール」開館。
中央下水処理場、汚水処理を開始。
1963(昭和38)年 安富商店開業。
「徳島ハム」と「鳥清ハム」が合併し「日本ハム㈱」となる。
4月、バナナなど25品目の輸入自由化実施。
11月1日、新千円札発行。

4月13日、徳島市文化センター新築開館。
1964(昭和39)年 林 正(大正7年生)が蔵本駅前で「純喫茶 林」を開業
ブドウのハウス栽培が導入される。
元町「つぼみや」百貨店として新装開店。
5月、レモン輸入自由化実施。
10月10日、第18回オリンピック東京大会開催。
1965(昭和40)年 ハマヤ株式会社、徳島市中洲に徳島営業所開設。 9月11日、台風23号、徳島県下に大被害をもたらす。
大塚製薬㈱「オロナミンCドリンク」発売。
1966(昭和41)年 同伴喫茶などと呼ばれる喫茶店ができる。
9月、県の木選定委員会、県の木として“ヤマモモ”を決定。
6月29日、ビートルズ来日。
9月25日、徳島市北常三島町に、市民病院新築落成。
1967(昭和42)年 ダートコーヒー株式会社、徳島市新内町に徳島支店を開設。 2月15日、徳島空港完成。
3月、徳島県初の歩道橋が八百屋町に完成。
ゴーゴー喫茶、アングラ酒場盛況。
1968(昭和43)年 2月16日、17年ぶりの豪雪で大規模停電、交通マヒに陥る。
7月1日、郵便番号制度実施。
1969(昭和44)年 洋酒喫茶・ラテン喫茶などと呼ばれる喫茶店が次々開店。 UCC上島珈琲㈱、世界で初めてのミルク入り缶コーヒーを発売。
7月20日、アポロ11号、人類初の月面有人着陸を果たす。
1970(昭和45)年 この頃から、ハウスメロンがビニールハウスで栽培始まる。
「レストラン影山」(現コックドールかげやま)、徳島市秋田町に開店。
3月14日~9月13日、日本万国博覧会(大阪万博)開催。
3月31日、徳島駅で県最後の「SL8620型蒸気機関車」引退、お別れ会開催。

徳島珈琲店の最盛期。純喫茶から喫茶レストランへ。

このころから、郊外型の喫茶レストランなどができはじめ、チェーン店も出来始める。
独創的な店舗が人気店となり、純喫茶のころの席数(15席~30席)が大型化しレストランとなり、30席~50席以上の店舗が増え始める。
徳島市内では蔵敷区(クラシック)・仏蘭西屋・カサブランカ・キングofキング・バレンシアなどが有名

年月 徳島の飲食に関する出来事 同時期の主な出来事
1971(昭和46)年 阿南駅前に喫茶「さんじぇるまんコーヒー」開店。 6月、グレープフルーツなど20品目の輸入自由化。
7月20日、東京銀座にマクドナルド日本第1号店オープン。
9月18日、日清食品、「カップヌードル」発売開始。
6月、「徳島東宝」移転開館、「東宝シネマ」開館。
9月12日、郷土文化会館(現あわぎんホール)開館。
「ポッポ街商店街」登場。
1972(昭和47)年 6月11日、「徳島パークホテル」開館。
11月、徳島市北沖洲に「徳島市中央卸売市場」完成。(48年2月13日より営業開始。)
5月10日、鳴門市大麻町の旧ドイツ俘虜収容所跡地にドイツ館を創設。
「南海ショッピングセンター」(のちの徳島CITY)開店。
7月1日、吉野川大橋開通。
10月28日、東京上野動物園にジャイアントパンダのランラン&カンカンが来園。
1973(昭和48)年 歌声喫茶・サービス喫茶などと呼ばれる喫茶店が次々開店。
10月、「丸新百貨店」新装開店。
オイルショックが起きる。
12月2日、県営「鳴門運動公園野球場」完成。
1974(昭和49)年 珈琲人チェーンやまなみマッチ岸日本ハム、名西郡石井町に1日500頭の豚を処理する徳島工場を完成させる。
徳島市幸町に「珈琲人」開店、チェーン展開し、最盛期には23店舗存在した。
1月13日、徳島町城の内に、「青少年センター
(現とくぎんトモニプラザ)」開館。

4月6日、第46回選抜高校野球大会「県立池田高等学校」準優勝。
(通称:さわやかイレブン)
1975(昭和50)年 5月8日、鳴門市公設卸売市場開設。 12月21日、徳島市金沢町に民間総合運動施設「ハッピー」オープン。
1976(昭和51)年 4月、学校給食に米飯導入。
“およげたいやきくん”がヒット。
7月31日、南末広町-昭和町8丁目間に県営有料末広道路(末広大橋)」開通。(平成9年4月1日より無料開放)
1977(昭和52)年 8月28日、北灘沖で赤潮大発生、養殖ハマチ84万匹が死に、ウチノ海の魚などに大きな被害。
蔵敷区(クラシック)喫茶&レストラン南島田町に開店する(郊外型店舗の始まり)。
10月、低カロリー・低脂肪のローファット牛乳が発売される。
1978(昭和53)年 小原 博(COFFEE WORKS代表)が阿南市にビストロ「ディラン」を開業。
ぼんじゅうる開店
4月、「内町小学校」寺島本町から徳島町城内(西の丸運動場跡)へ新築移転。9月、「徳島市立体育館」竣工。
インベーダーゲーム流行。
1979(昭和54)年 ゲーム喫茶が流行り始める。 4月2日、テレビアニメ「ドラえもん」放送開始。
4月5日、第51回選抜高校野球大会、8月13日、第61回全国高校野球選手権大会で「県立池田高等学校」春夏準優勝。
1980(昭和55)年  でっち亭小原 博 自家焙煎の店「でっち亭」を開店。 4月、ゆとり教育スタート。
大塚製薬㈱、「ポカリスエット」発売。
1981(昭和56)年 2月16日、八百屋町に「徳島郵便局」局社新築。
7月29日、イギリス、チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式。
1982(昭和57)年 徳島県下の飲食店の総数は5517.このうち喫茶店1220が最も多く、ついで一般食堂980、バー・キャバレー・ナイトクラブ871、酒場・ビアホール594であった。(6月1日) 8月20日、第64回甲子園選手権大会で「県立池田高等高校」優勝。
1983(昭和58)年 10月1日、徳島駅開発ビル「アミコ」、「そごう」開店。 3月18日、徳島CITY開店。
4月5日、第55回選抜高校野球で県立池田高校優勝、甲子園春夏連覇。
4月15日、東京ディズニーランド開園。
7月15日、任天堂、ファミコン発売。
大塚製薬㈱「カロリーメイト」発売。
1984(昭和59)年 11月、東新町にマクドナルド徳島1号店開店。(平成22年4月30日閉店) 1月24日、米国でマッキントッシュ(Mac)発表。
3月11日、スタジオジブリ映画「風の谷のナウシカ」公開。
1985(昭和60)年 4月1日、日本電信電話公社がNTTに、日本専売公社がJTに 民営化。
6月8日、大鳴門橋開通。
7月1日、牟岐に「牟岐少年自然の家」開業。
9月13日、「スーパーマリオブラザーズ」発売、大ヒット。
1986(昭和61)年 4月5日、第58回選抜高校野球大会で「県立池田高等高校」優勝。
6月3日、徳島県庁新築移転。
12月4日、新吉野川大橋開通。
「つぼみや」跡に「徳島ビブレ」開店。

エスニックレストランが人気になる。
若者を中心に激辛ブーム、
インスタントラーメンやスナック菓子などに辛口の商品が増える。
1987(昭和62)年 木元 幹雄 ログハウスの喫茶レストラン「wuto-wurk ウトウーク」を開店させる。 4月1日、国鉄、民営化でJRに。
1988(昭和63)年 9月1日、10年かけて開発された徳島の地鶏「阿波尾鶏」誕生。
洋菓子専門店としてタカイチ開店
3月18日、東京ドーム開業。
4月10日、瀬戸大橋開通。
1989(平成1)年 足立 洋規 鴨島町で喫茶店「花杏豆」を開店させる。
「徳島センチュリーホテル」オープン。
11月9日、ベルリンの壁崩壊、翌年10月、ドイツ再統一。
「新町川水際公園」完成。
1990(平成2)年 珈琲美学マッチ小原 博「珈琲美学」を開店。(2010(平成22)年店名を「TOKUSHIMA COFFEE WORKS 」に変更。) 6月29日、礼宮文仁親王と紀子様ご成婚。
11月、八万町に「文化の森総合公園」完成、
同敷地内に「県立図書館」移転。
1991(平成3)年 5月、ジュリアナ東京オープン。(平成6年、閉店)
バブル崩壊で景気悪化。
1992(平成4)年 バルセロナオリンピック開催。
4月、新町川を守る会によって「ひょうたん島周遊船」の名で運行開始。
9月15日、徳島ターミナルビルに「JR徳島駅」が新装開業。
1993(平成5)年 4月24日、徳島ターミナルビル内に「徳島クレメントプラザ」開店。
7月2日、「ホテルクレメント徳島」開業。
万代町に「徳島プリンスホテル」開業。(現グランヴィリオホテル)
8月28日、「マリンピア沖洲」竣工。
10月19日、多目的施設「アスティとくしま」開場。
1994(平成6)年 6月27日、松本サリン事件発生。
10月、日本初のLED信号機を万代町県警察本部前の交差点に設置。
1995(平成7)年 3月21日、丸新百貨店閉店。 1月17日、阪神淡路大震災。     
3月20日、地下鉄サリン事件発生。
Windows 95発売。

全国チェーンの店や独自性に富んだ店が次々登場。

大正・昭和初期とはニュアンスの異なる“カフェ”と呼ばれる店の登場や、自家焙煎の店も急増し、喫茶スタイルは多様化していく。

年月 徳島の飲食に関する出来事 同時期の主な出来事
1995(平成8)年  「櫻茶屋」開店。 2月18日、「東新町ボードウォーク」完成。
7月13日、堺市の学校給食でO-157集団食中毒発生。
たまごっち・ポケモン・プリクラ・ルーズソックス流行。
1996(平成9)年 4月、第1回はなはるフェスタ開催
1998(平成10)年 3月20日、中洲町に地ビールレストラン「阿波うず潮ビール」開店。(現ザ・パシフィックハーバー) 2月2日、郵便番号7桁化。
3月21日、大塚国際美術館開館。
4月5日、明石海峡大橋開通。
4月29日、渋野・方上町に「とくしま動物園」開園。
1999(平成11)年 3月3日、NHKオリジナル曲「だんご3兄弟」が大ヒット。
4月1日、徳島-和歌山間「南海フェリー」就航。
4月11日、ビブレ閉店。

7月30日、阿波おどり会館完成。
2000(平成12)年 8月、「徳島パークホテル」閉館。 4月22日、大鳴門橋歩道「渦の道」オープン。
2001(平成13)年 11月2日、北島町に「フジグラン北島店」開店。
パン広場2001開店
3月31日、大阪USJ開業。 
9月11日、アメリカ同時多発テロ。
7月1日、板野町に「あすたむらんど徳島」開園。
12月1日、「フジグラン北島店」に「北島シネマサンシャイン」開館。
2002(平成14)年 マンガ喫茶が流行る。ネット喫茶できる。

3月25日、栄町「OSグランド」閉館。
10月15日、北朝鮮拉致被害者5名が帰国。

2003(平成15)年 6月1日、富田浜「ホテルサンルート徳島」閉館。
とよとみ珈琲開店
アントレポット開店
6月1日、「徳島東宝」閉館。
2004(平成16)年  4月6日、松茂町「徳島とくとくターミナル」完成。 アテネオリンピック開催。
12月2日、「ニンテンドーDS」発売。
吉野川市発足。
2005(平成17)年 SCENA(シェーナ)開店
あかさこ珈琲店開店
珈琲日出蔵本店開店
4月25日、JR福知山線脱線事故発生。
4月、四国アイランドリーグ開幕。
9月16日、蔵本町「平和ドルビー」「アタック平和」閉館。
美馬市・つるぎ町・那賀町・阿波市発足。
2006(平成18)年 3月18日、徳島駅前名店街ビル、「ME!TEN!GA!ビル」として新装開店。 1月27日、籠屋町「徳島東宝」「東宝シネマ」閉館。
9月28日、「徳島ホール」映画上映打ち切り、徳島市内常設映画館0に。
三好市・東みよし町・美波町・海陽町発足。

トリノオリンピックで女子フィギアスケート荒川静香日本人初の金メダル。
2007(平成19)年 5月12日、映画「眉山-びざん-」公開。
5月、「鳴門総合運動公園」命名権を大塚製薬㈱に売却、
「鳴門・大塚スポーツパーク」に。
2008(平成20)年 4月27日、第一回とくしまマラソン開催
北京オリンピック開催。
2009(平成21)年 TOKUSHIMA COFFEE WORKS このぶ店開店
AGRI CAFE COMODO開店

自家焙煎Cafe遊楽開店
1月20日、米、オバマ大統領就任。
8月30日、衆議院選挙で民主党が第一党へ、政権交代。
2010(平成22)年 白いブランコ開店
2011(平成23)年 11月24日、藍住町に「ゆめタウン徳島」開店。
2012(平成24)年
2013(平成25)年