[ 徳島市両国 ]

びざん (ビザン)

店内画像

昭和のはじめ頃、アメリカ食堂という西洋料理店で初代が開業。太平洋戦争が激化する中、米日関係の悪化により店名を変えるよう要請を受け、「Cafe Bizan」となる。そして一帯は焼け野原となり、一時麻雀店を経営。その後二代目襄次(ジョージ)が引継ぎ純喫茶となる。徳島の喫茶店の老舗中の老舗。当時から変わらぬドリップ式で点てたコーヒーをどうぞ。

取材に伺った時に来店していた河井さんは終戦直後からの常連で、コーヒー通。今は無き当時の喫茶店や珈琲の古い話を聞かせていただきました。その話によると「神戸から自転車で徳島に来県し珈琲豆を売っていたり、どこの喫茶店もアメリカンの薄い珈琲だった、珈琲豆も終戦直後はあまりいいものがなくて、珈琲のかわりにどんぐりの実を焼いて出していたのを飲んだが、それはまずかった!。」と当時の珈琲の話をしていただきました。

店内の様子(河井さんとマスター)

店内の様子(河井さんとマスター)

びざん店舗外観

びざん店舗外観

ネルドリップコーヒー

ネルドリップコーヒー

店舗のあゆみ

創業者 豊茂正二 現オーナー 豊茂 進

1927年(昭和 2年) アメリカ食堂時代の広告初代豊茂正二が創業。名は「アメリカ食堂」
※右は、昭和4年(天神さんの麓にあった映画館「相生座」の映画広告のビラ
1937年(昭和12年)

昭和12年-Cafe-Bizan※写真は昭和12年頃の「cafe Bizan」。
当時カフェーが多くあり、びざんでも女給さんを募集しているのが分かる。
水をまいているのが初代豊茂正二。アメリカ帰りのユニークなおじさんと紹介されている。
『目で見る徳島の100年』より。

アメリカ帰りの豊茂正二は英語が堪能であったため通訳の仕事もされていたという。

1957年(昭和32年) NHKに勤めていた豊茂襄次(大正3年生まれ)が喫茶店を引き継ぐ。初代である父親がアメリカで生活していたこともあり、襄次(ジョージ)と名づけられたアメリカでも日本でもいいようにと。
1976年(昭和51年) 豊茂ミヨ子(昭和17年生まれ)の夫 進(昭和12年生まれ)三代目が引き継ぐ
1979年(昭和54年) 店舗改装