徳島の珈琲関連企業

ブラジルコーヒ1

有限会社 徳島ブラジルコーヒの新着情報

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有限会社 徳島ブラジルコーヒの企業情報

徳島珈琲業界の先駆者

喫茶店も少ない昭和はじめころから、徳島で初めて珈琲豆を販売する店舗を徳島市大工町で開業し、地元の珈琲愛好家や喫茶店経営のお店へ販売する。
創業者の奥様が実姉の住む京都を訪れた際に飲んだ、かつて京都にもあった「カフェー・パウリスタ」のアイスコーヒーが美味しかったことから、「徳島でもあのコーヒーを提供できたら…」と提案し、開業。当時大阪にあった店「ブラジルコーヒー」を 訪れ、珈琲豆の購入を始める。店名は「徳島ブラジルコーヒ店」とした。

※右は昭和28年の地図に掲載された広告。 創業者 桜井吉朗氏は当初より広告の必要性を重視、売上げの2%は新聞やテレビコマーシャルなどの広告費に充てていたという。

徳島の喫茶店やレストランのために

世界各国から厳選し焙煎したこだわりのコーヒー豆を常時20種類ほど販売。各店舗や個人向けにコーヒー豆を提供、個人向けにはコーヒー豆だけでなく、ご家庭で本格的なコーヒーが楽しめるコーヒー関連器具(ペーパードリップ・ネルドリップ・サイフォン・プレスなど)や、コーヒー関連商品(ミルク・砂糖など)を販売。

またタクト店では、本格的なコーヒーやカプチーノなどをバリスタが提供し、一般の方のニーズを幅広くお聞きし、愛好家や店舗経営のあり方を探求し続けている。

籠屋町店内

籠屋町店内

籠屋町店外観

籠屋町店外観

大阪珈琲商工組合証

大阪珈琲商工組合証

徳島ブラジルコーヒの沿革

1932(昭和 7)年 昭和26年ブラジルコーヒ創業者桜井吉朗氏(明治38年生れ)が徳島市大工町で珈琲豆の販売店を創業。
当時全国的にも珈琲豆の販売店は少なく、しかも徳島という小さな田舎町で営業しているのが珍しいと、全国から人が見学に訪れていたという。当初は自家焙煎ではなく、
大阪の「ブラジルコーヒー」より焙煎された豆を購入し販売していた。

当時「カフェー」と言われていた、コーヒーもアルコールも飲めるエプロン姿の女給さんのいる店があり、その頃からすでに珈琲豆の卸売をしていた。

※写真はブラジルコーヒ創業者 桜井吉朗氏。S.26.4.13撮影「徳島専門店会のあゆみ」より
1942(昭和17)年 第二次世界大戦の影響で珈琲豆が入荷しなくなり藍住町に疎開。
1950(昭和25)年 珈琲豆が入荷されるようになったことから営業を銀座(当時の鍛冶屋町)で再開。
1957(昭和32)年 ブラジルコーヒー社長 桜井吉範二代目社長(桜井吉範氏、昭和7年生まれ)が店の手伝いを始める。主に焙煎を担当。
1962(昭和37)年

昭和37年頃の写真

銀座から籠屋町へ移転。
12kgの焙煎機を西ドイツより購入。木箱に入れられた焙煎機は、戦争でスエズ運河が封鎖されていたためアフリカの南のルートを使って運ばれてきたという。

※写真は創業者 桜井吉郎氏の奥様(富志子さん明治40年生まれ)と店舗。

1966(昭和41)年 現専務(桜井洋司氏、昭和17年生まれ)が店の手伝いを始める。主に喫茶店への卸売や開業支援を担当。
1971(昭和46)年 喫茶店の開業が盛んになり、卸部として二軒屋2丁目に事務所と工場を開設。
22kgの焙煎機を導入。
1974(昭和49)年 卸部を城東町1丁目へ移転。
1981(昭和56)年 直売店をリバーシティジャスコ内に出店。(リバーシティが閉店する平成21年まで営業)
1994(平成 6)年 直売店をキョーエイタクト店内に出店。
1995(平成 7)年 卸部をマリンピア沖洲内に本社として移転・新設。工場には60kgの焙煎機を導入。
待ちに待った納品日は、奇しくも阪神淡路大震災の日だった。

徳島ブラジルコーヒの会社データ

会社名 有限会社 徳島ブラジルコーヒ
住所 〒770-0873 徳島市東沖洲2丁目26番地12
(産業団地マリンピア沖洲内)
TEL 088-664-6139
FAX 088-664-6140
代表取締役 桜井 吉範
事業内容 コーヒー豆の焙煎及び一般販売
カフェ・レストランなどへの食品総合卸売り
ドリンク・フードメニュープランニング
オフィスコーヒーサービス
所属団体 大阪珈琲商工組合員・日本スペシャルティコーヒー協会員
ホームページURL http://brazil-coffee.co.jp/
E-mail http://brazil-coffee.co.jp/contact/

電話帳広告で見るブラジルコーヒ店の変遷

昭和37年電話帳広告

昭和37年

昭和43年電話帳広告

昭和43年

昭和45年電話帳広告

昭和45年

昭和47年電話帳広告

昭和47年

昭和55年電話帳広告

昭和55年

昭和58年電話帳広告

昭和58年